My memories

日々の思い出、備忘録

世界遺産 熊野古道・熊野三山をめぐる 鬼が城・潮岬・紀伊大島 2日間の旅【2日め】

2日目は2つの観光地と2つの世界遺産を巡りました。

【7】七つ目『観光地 紀伊大島』(映画の舞台にもなった和歌山県最大の島)

 平成11年に完成した、【くしもと大橋】の橋を渡り、串本大島とも呼ばれる『紀伊大島』へ。

 この島とトルコは120年以上も前から有効関係が続いていました。

 以前、テレビ番組で見た1985年のイラン・イラク戦争で、イラクフセインが「48時間後にイラン上空を飛ぶ航空機に無差別攻撃する」との宣言を発令した時、他の国の人々は軍用機や旅客機で脱出したのです。

ところが、日本国政府自衛隊機は海外派遣できず又、旅客機の航空会社は安全の保証なしに臨時便は出さないとなり、邦人はイランから脱出出来ない状態になってしまったのです。その時に救いの手を出してくれたのがトルコ。

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旅客機2機を出し、イランにいた216名の日本人を全員トルコ経由で日本へ帰国させてくれたのです。何故、日本人にそこまで…?

 そのきっかけとなった事件が、ここ「紀伊大島」で120年以上も前に起こったのでした。

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明治23年(1890年)、9月16日夜半、トルコのエルトゥールル号が帰航の途中、和歌山県串本町紀伊大島沖で、猛烈な台風のために岩礁に激突、沈没してしまいました。

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乗組員656名のうち587名が死亡する大惨事となった海難事故ですが、そのとき旧大島村樫野(串本町)の島民が献身的な救助活動を行い、69名が生還することが出来ました。

 この【エルトゥールル号遭難事件は日本人にはあまり知られていない事件ですがトルコでは教科書に載っていて、誰もが知っている事件なのでした。

トルコの人々からのエルトゥールル号の遭難の際に受けたご恩返しだったのですね。

 その後 墓碑と追悼碑が建てられるなど、犠牲者の慰霊を通じて串本町とトルコ国との交流が始まり、現在まで友好関係が続いているそうです。

日本人は昔から優しくて親切な人が多い事にちょっと嬉しくなり、又120年以上も前の恩義を忘れないトルコの人々にも驚きました😳

そしてその映画🎦が2015年公開の『海難1890

http://eiga.com/movie/79893/

 その為、紀伊大島には【トルコ軍艦遭難慰霊碑】や【トルコ記念館】(遺品や模型の展示がありました) 入場料500円

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【ムスタファ ケマル アタテュルク騎馬像】(トルコ共和国建国の父とか)かなり大きな銅像でした。

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トルコの民芸品やトルコアイス🍨の店などトルコに関するものでいっぱいの島でした。

 そして、島の東端断崖には日本最初の石造灯台である【樫野埼灯台(かしのざきとうだい)】が建っていました。

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天気も良く、鶯の鳴き声が辺り一帯に聴こえて太平洋の海に囲まれた気持ち良い場所でした😊

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【8】八つ目は『観光地 潮岬(しおのみさき)』(本州最南端)

 余り時間も無いので、私達が行ったのは本州最南端のシンボル、【潮岬灯台】だけです。

料金200円支払うと、こんな証明書が貰えます。(日付は入ってないので自分で書きました)

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 狭いらせん階段を上って上に出ると展望台が…

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太平洋や景色が180度見渡せるパノラマが広がります。

1階には、小さな資料館もありました。

【9】九つ目は世界遺産 熊野本宮大社熊野神社総本宮

 熊野本宮大社を参拝すると来世を救済するご利益があるそうです。

 主祭神は、家津美御子大神(スサノオノミコト)です。

 かつては、熊野本宮大社は「大斎原(おおゆのはら)」(神様が舞い降りた地)と呼ばれる川の中洲にあったのですが、大洪水で現在の山の上に社を移築したのです。

 大斎原のシンボル、大鳥居をバスの中から見て通り過ぎ、現在の鳥居をくぐり

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杉木立の中158段の石段を登りきると

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熊野本宮大社の神門がありました。但し、神門より中での写真撮影は禁止となっていました💦

熊野本宮大社の社殿は、熊野速玉大社・熊野那智大社の様な鮮やかな朱の色は使われていませんでした。

社殿は五ヶ所あり、参拝する順序があるそうです。

そしてここには、あちこちに3本足の八咫烏がいました。

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熊野本宮大社御朱印と牛王符はこちら

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 速玉が前世の罪を浄め、那智が現世の縁を結び、本宮が来世を救済するといわれ、熊野三山を巡れば、過去、現在、未来の安寧を得ると考えられたので昔から多くの人たちが熊野古道を歩いて熊野三山を訪れたのですね。

 

【10】最後の観光、十個目は世界遺産 花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)』

 日本書紀にも記されている日本最古の神社といわれている場所です。

  神々の母である伊弉冊尊イザナミノミコト)が火の神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵で、季節の花を供えて伊弉冉尊を祭ったので「花を供えて祀った岩屋」で【花の窟神社】というそうです。

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 自然信仰(巨岩信仰)の為社殿はなく、高さ約45メートルの巨岩である磐座(いわくら)がご神体です。

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見上げる程の大きな大きな岩でした。

こちらの御朱印です。

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2日目のバス走行距離は約345kmとなってましたが、途中事故渋滞にあい 運転手さんの機転で、下道に降りて道を変えて走って頂いたので距離は変動してるかもしれません。

今回の運転手さんは、乗り降りの度に挨拶して下さり、とても感じの良い方でした😊ありがとうございました。